他人の目や評価が気にならなくなるたった1つの方法

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他人の目や評価が気になりませんか?SNSも普及してある意味、生きづらい世の中ですね。
一つの回答を僕がここでお伝えしようと思います。

neu代表の牧野です。

最近何度か同じ話を熱弁したので、せっかくですから文章に残しておこうと思います。
話をする経緯はいずれもこんなことを聞いた時です。

他人の目や評価がどうしても気になってしまう

例えば、

相手にどう思われるか怖くてうまく話せない
やりたいことをオープンに話せない
話すときに緊張してしまう

同じようなことで苦しい人、何とかしたい人に少しでも役立てばと思っています。

なお、この話で言いたいことはあなた自身が見ている世界の見方についてです。
仕事やスポーツでは結果が評価されることが多く、競う要素も当然あるので、評価を全く気にしないのは危険かなと思っています。

「気にしない」ということではなく「受け入れよう」ということを言いたいです。

あくまで、昨今よく聞くみんなと同調するようなところで苦しんでるような方に参考にして頂けると幸いです。

いいたいこと

人間は生まれた時点から物理的に異なる脳で活動し、異なるバックグラウンドで成長します。
人それぞれ、違う仕組みが違う環境で作られているんです。
遺伝子から細胞分裂から鼓動から呼吸から、何から何まで一緒でないと全く同じ人間は出来ませんよね。当たり前の話だと言われてしまいますが。

従って、同じうれしい、おいしい、楽しい、悲しいは絶対に存在しません。
そのため、相手がどう受け取ったか、感じたかを想像して気にすることは無意味です。

例を出して説明します。

コミュニケーションの例

分かりやすいので、コミュニケーションを例にします。
発信する側を例にすると大雑把に以下のような流れですね。
多かれ少なかれ無意識に必ずやってると思います。

①相手を想像する
これまでの付き合いで知ってる性格や好みを背景に、伝える相手を想像しますよね。
これを伝えたら喜ぶかな、悲しむかな、とか。
仕事だと、誤解しないかなとか、気になるところはここかな、とか。
付き合いが浅い場合、その人の立場や関係性、場合によっては損得を想像するわけです。

②伝える
想像したら言いたいことを伝えますよね。
①で想像したことをベースに、言葉遣いや言い方を選んで。会話でもメールでも基本的には同じ。
会話の場合、無意識にやってることが多いかもしれませんね。

③相手が受け取る
こちらの伝達内容を相手が受け取ります。
そこからリアクションがあったりして会話が成立します。

で、苦しんでしまう方って③が気になってしまうんだと思います。そのため、過程である①や②でも苦しい思いをしてしまう。

自分はどう思われているだろうか
不快に思われないだろうか
伝えるの緊張するな

そんな風に感じ、苦しいのではないかなと思います。
僕ももともと人見知りで神経を使う方なので体験として残っています。

しかし、僕は現在こんな風に思っています。

②まで頑張って③は忘れよう

伝えるまで一生懸命やれば問題ないです。

なぜなら、相手がどう受け取るか、自分の想定と実際が一致することは絶対にないからです。断言できます。
①の想像は、あなたの脳と背景で作り上げた相手だからです。
人間はバックグラウンドが違い、バックグラウンドを背景に情報を受け取る感情がありニュアンスがありますから、絶対に一致することはありません。

これは会話に限らず、自分が他人に対してなにか行動を起こすとき同じだと思います。
なにか意見を表明するとき、想いを語るときに置き換えてみてください。

僕はこの思想になってから、価値観の点では他人の評価はまったくと言っていいほど気にならなくなりました。

何故このように考えるようになったか

2つの衝撃的な出来事が僕の思考を変えました。

あなたが見えている色

職場の同僚が色盲でした。僕の職場に彼が参画してきたのですが、恥ずかしながらその時初めて色盲を知りました。
これまで疑いもしなかった"赤"が彼には"赤"ではなかったんです。
しかしこれで終わりません。

その後のある日、奥さんと色の話をしていてなんと青に関する意見が合いませんでした。
奥さんも少しですが色弱だったんです。僕は奥さん10年以上一緒にいますが、分からなかったんですね。一番身近な人で一番自分を理解してくれている人ですら、見える世界は違ったんです。
これはもう、すごい衝撃でした。

それ以来、奥さんすら自分の脳が作り出したものかもしれない、とすら思ってます。ちょっと極端ですが、それぞれの人が誰にも共有できない自分の世界を持っているということを理解しました。

これが1つ目の衝撃。

サピエンス全史

人類学という分野の本で、ベストセラーになりましたね。
大したことはないですが僕にとってはじめての大病で10日ほど入院した際に読みました。

この本自体がすごく面白かったのですが、なにより自分が他の動物と変わらないいち生物であることを強く自覚しました。
人間という生物である自分を客観視できた感覚です。

入院していたので考える時間があり、病院という環境に身を置くことで多少生死に関することを考えていたこともこの意識の変化を後押ししたのだと思います。
とてもよいタイミングで素晴らしい本を読めたと思っています。

結局、自分が見ている世界は全て脳が作り出した世界ということ。

これが2つ目の衝撃です。

この価値観はディレクターという仕事でどう活きるか

僕はシステムディレクターという領域を仕事にしていますので、多くの人と接しながら仕事をしています。
また、2020年9月に株式会社neu(ニュー)を創業しました。今後は社長業も頑張っていく所存です。

どちらの仕事にも言えることは、

  • 関係する人が多い
  • やることが多く並行で進める
  • 取り組むタスクの工数は自らの力量によってかなり変わる

です。

そのため、本文趣旨の感覚を得てからは意思決定スピードが格段に上がりました。結果として、タスクを潤滑に消化することに繋がっています。

システムディレクターはもとより、Webディレクターやアートディレクターなどの牽引役にはかなり有用な感覚だと思います。

まとめ

僕は少し極端な性格もあり、自分なりに衝撃的なことがあって考え方がガラッと変わりました。

繰り返しますが、

あなたのことを悪く言ってるかもしれない人、いまいちな反応をするかもしれない人、そんな想像の人たちはあなたが作った架空の人です。

伝えるまでのプロセスはすごく大事

自分が他人に対してなにかを伝えるまで、何か行動を起こすまで、その時に相手のことを一生懸命考えるわけです。時には何気なく相手の気持ちを探ったりしながら。
それって相手を無視する行為とは正反対ですよね。
それで十分だと思うんです。
実際に自分が変えられるところに全力を注ぎ、変えられないところは天命を待てばいいんですよ。
よっぽど間違っていても命まで取られることは、この現代においてないでしょう。

本文趣旨の証左となる出来事

友人や先輩と食事とかしてるときに「あの時お前からこんなこと言われてさー、こう思ったのよ」って教えてくれることがあります。
不思議なのは、他の人が覚えているのは「これは伝えたい」と思い切って伝えたことよりも何気なく言ったことだったりするんですよね。
これよくありませんか?
あとはTwitterでよくあることのようですが(僕はまだない…羨ましい)、何気ない呟きがバズって、力んで呟いたら全然ダメだった、みたいな。
これも自分の想像と相手の受け取り方が全く違うことを意味しているんじゃないかなと思っています。

どう意識を変えるか

じゃあどう変えていくのかを提案するのは難しいですが…

あえて提案するなら、いろいろな人の価値観に触れることだと思います。そのために、友人や同僚、お客さんなど立場隔てなく、生き方とか人生観とかくだらない好みとか、たくさん話しを聞くことではないでしょうか。

繰り返しますが、たくさん話しを聞くことだと思います。

話をしていても話を聞いている人というのは案外少ないように感じます。
自分のことを話したいのは当たり前なので善悪の評価はありませんが、価値観を吸収するという目的であれば、自分ばかり話していても何も入ってきませんよね。

とにかく質問して、話を聞いて、質問や気になりどころが浮かんだ時だけ発言するぐらいがちょうど良いんじゃないかなと考えています。
(お食事で2時間ほとんど僕が話さず終わった人がいましたが、さすがにその人とは二度と食事をすることはないでしょうw)

読んで頂きありがとうございました。